アイアムサム キャスト。 演技力に引き込まれる!?映画 アイ・アム・サムのネタバレ感想

映画『アップタウンガールズ』ネタバレあらすじキャスト評価ダコタファニング出演映画

アイアムサム キャスト

先日この映画を観に行った友人が、「結局、ルーシーは サムの子供じゃなかったんだ〜」とポロっと言いました。 は??と思い、 なぜそう思ったか聞いてみると、 ・冒頭でスタバの同僚が「サム、病院に行く時間だよ」と言ったのは サムが定期的に通院しているので、それを教えてあげてただけ。 ・サムは泣いてる人を見るとなぐさめてあげたくなるので、お産で苦しん でいる彼女を見たら、行きがかり上、ついていてあげた。 ・看護婦さんに「お父さんですね?」と言われ、ワケがわからなくなり そのままパパ役を引き受けた。 ・ようは、あの赤ちゃんを産んだ女性とは病院で通りすがりの関係だった。 ・何より、あのサムがあの女性とコトを行ったとは考えられない! だって!! 不思議な見方です。 思わず納得してしまいました。 やはりサムとあの女性との関係の描き方が希薄過ぎたんだと思います。 冒頭5分くらいですもんね〜。 でもホームレスの女性をサムがアパートに 拾って・・・という説明も一応ありましたよね。 つまり、サムは自分の子供だと無理矢理、子供を押し付けられて、そう思い込んで育てている、という設定なのではないか?と。 そういう意味では、娘がもらいっ子だと言ったとかいうエピソードも気になるものです。 もしそうだとすると、実の親子でなくても愛情があって育てているほうがいいのではないか?という問題提起ともとれます。 基本的には、この作品の意図は現代の親子の愛とは何かを問い直すことで、その着眼点はすごくいいと思います。 ただしつこいようですが、状況的にわかりにくい面が多い気がして、自分としてはこの作品に対しては「?」になってるのですが。 小説のほうを読んでいないので、そちらでどういう話になっているのか、気になるところです。 時間があるときに読んでみようかな?• 「まさかね・・・」とは思いつつ、何の予備知識もなく見た人がそう思った ってことは、もしかしてもしかするかもしれませんね。 でももし実の親子じゃなかったら、それはストーリー上別に隠すことでも ないし、、、実際に血のつながってない親子という設定だったら、逆にそこを ドカーンと前に持ってくるような気もします。 宣伝文句が目に浮かぶ・・・。 まだちゃんと全部、読んでいませんが、実の親子という設定であるようです。 モーフィーさんもありがとうございます。 サムとあの女性との関係がストーリー上重要というわけではないですが、 やはり背景の説明がちょっと足りなかったのではないかと思います。 観る人の受け取り方でずいぶん違った映画になっちゃいますよね。 思いこみって恐いです。 こういう意見交換の場ってホント重要!• あと、この主人公は、知的障害でも、自閉症の一種のようですね。 単にIQが低いというだけでなく、ある面では人一倍、記憶力がよかったり特殊な能力をもつ面があるようですが。 ビートルズについてはなんでも知っているとか。 つまり、ビートルズの曲は単に雰囲気的に合うから使われていたというだけでなく、ビートルズのことならなんでも知っているという主人公の性格を説明するものであるようです。 ここら辺も映画では分かりにくいような気がするのですが。 思わず納得してしまいました。 面白い見方ですね! 他の映画の乾燥もいろいろと 聞きたいですね〜 でも、サムの子供です。 もし違うのなら DNA鑑定・・・をするでしょうね・・・ そーすれば、裁判も早く片付くし・・・ 浮浪者が寝る場所がほしくてサムに近づいたようだよ。 途中、売春婦にも狙われた?とう話しの流れからも 騙されやすいって事だよね。 ルーシーがはじめて感情をあらわにして 怒るシーンが印象的で胸がきゅっとなりました。 返信を投稿• 思わず納得してしまいました。

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映画「アイアムサム 」ネタバレあらすじと結末・みんなの感想

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I am Sam アイアムサムのネタバレあらすじ:父と娘 ルーシーを取り戻したいと考えるサムは仲間の助言でやり手の女弁護士リタのもとを訪れる。 エリート意識の強いリタはお金のないサムの依頼を断るが、パーティの席上で社会奉仕もできる、と公言したためしぶしぶサムの依頼を引き受ける。 ところが面会の再に2人で施設を抜け出したり、裁判でまともな証言を得ることができないうえ、執拗な追求に耐えられなくなったサムは「ルーシーのためにならない」という福祉局側の言い分にとうとう屈してしまい、結局ルーシーは里親ランディのもとへ引き取られることになってしまう。 I am Sam アイアムサムの結末:家族 サムのルーシー対する愛情や、純粋な心に触れるうち、本心からサムを助けたいと思うようになっていたリタは、ルーシーと離れ離れになって落ち込むサムに、ルーシーを取り戻す手立てを提案する。 サムはランディの家の近くに引越し、養育条件を満たすために仕事を掛け持ちして収入を増やすなど再び努力し始める。 家が近くだと知ったルーシーは毎晩家を抜け出してサムに会いに行くようになる。 その様子を見たランディはサムとルーシーを引き離すことはできないと知り、ルーシーはサムの元へ戻ることができた。 娘が戻って喜ぶサムはその後、社会奉仕活動としてサッカーの審判などを行います。 そこには愛するルーシーが彼を見守っていました。 ルーシーは里親、サムの仲間やアニー、リタら大勢の人の愛に包まれて幸せに暮らしたのでした。 コロナの影響で時間的な余裕ができ、昔、見た映画のコメントにまた、涙。 この映画は、劇場で見る前にパンフレットを買ってあらすじの冒頭を読んでしまい涙した映画です。 結婚していたくて、子育ての大変さなんて想像もできなかったころに見ました。 子どものために必死に子育てをする姿は、「クレーマークレーマー」の父親ともオーバーラップしました。 しかし、彼には知的障害があり、どうしていいかわからなくなってしまう。 周りの仲間の励まし(彼の理解は健常者のそれとはまったく異なりますが、愛する娘を守る気持ちは崇高なものがありました。 )から頑張ります。 娘の「パパを悩ますことを嫌がり勉強しなくなる気持ち」にまた涙。 世の子育てで悩んでいる夫婦の皆さんには見てもらいたい。 子どもは「泣く」「言うことを聞かず、我がまま」なものです。 この部分を理解できないのは、自らの生い立ちにも問題があるかもしれません。 それはそれとして大問題です。 しかし、子どものことを大嫌いになる前にこの英語を見てほしいです。

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アイアムサムって映画でサムの友人役でててくる障害者たちは本物の障害...

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「アイアムサム(I am Sam)」は2001年のアメリカ映画で、ショーン・ペンとミシェル・ファイファー、当時7歳だったダコタ・ファニングが出演する作品です。 やんちゃなイメージのあるショーンが、この作品でアカデミー主演男優賞にノミネートされました。 「アイ・アム・サム」あらすじ ショーンふんする父親、サムは知的障害を持っている心優しい男性で、恋に落ちた女性に生まれたばかりの子どもと一緒に捨てられてしまいます。 おしめや哺乳瓶の使い方もさっぱりわからないサムは、近所に住む年配女性アニーの助けを借りて、必死に娘ルーシーを育てていきます。 スターバックスで働くサムは、ルーティンの仕事を与えられ、丁寧にテーブルを整え、注文のコーヒーを作る作業を楽しんでいます。 また、同じく知的障害を持つ仲間たちと、週に1回ビデオを見る息抜きの時間を楽しみにしています。 サムは娘ルーシーと引き離されそうになる しかし、健常者として生まれ、7歳になったルーシーはいつしか、父親の知識レベルを超えてしまい、今度はルーシーが父親に「社会常識」を教える立場に逆転してしまいます。 そんな境遇を学校をはじめとする「社会」は心配し、ルーシーの成長を妨げないために、「健全な環境」で育てようと画策します。 敏腕弁護士と共に裁判に挑むサム そんな「行政のおせっかい」に断固立ち向かうサムは、裁判に訴えることを決意します。 敏腕弁護士と評判の、ミシェル・ファイファー演じるリタに直談判。 リタも周りへの見栄から無料でサムを弁護することになり、二人で策を練るのですが、リタから見ても状況は不利なままで、二人で策を練って裁判に臨む過程で、さまざまな人の助けを得て、サムの生きざまが明かされるというストーリー。 「アイアムサム」感想 周りから見たら「娘のほうが賢い」という普通とは違う親子関係でしょう。 ルーシーは、父親に社会を教え、サムは人を無条件で愛することを、ルーシーに教えている。 そんな親子関係の中で大事なのは、サムの「父性」なのではないでしょうか。 サムの「父性」は誰も疑いようがないほど、ルーシーのことをいつくしんでいる。 それでも、サムからルーシーをとりあげ「施設」へ移すことが、より良い環境だと誰が決めることができるのでしょうか。 そもそも「父性」とは多くの文化において、子どもを経済的に不自由なく育て、対外的に子どもを守れることだと考えられますが、そういう意味ではサムは「父性」を満たしているように思います。 ならば、なぜ二人は離れて暮らすべきなのか、胸がギュッと痛くなる感じがしました。 ルーシーの気持ちを無視しないで なにより、ルーシー自身が、賢い家庭教師もいて、良い学校にも通わせてもらえるのかもしれないが、身寄りのいない環境で思いっきり勉強できたり、美味しいものを食べられる生活を望んでいるのか。 いいえ、彼女自身、自分を命より大事だと思ってくれる人のいない環境で暮らすことを望んでいないのです。 そんな二人を引き離す権利が、外の世界にあるのかどうか。 「ルーシーの健全な成長のために、わたしたちが最適な環境を用意します」という「常識」が、当の本人たちの意思と反したところで決定される社会の怖さを考えました。 それが善意からきているから、なおさら恐ろしいと思いました。 もちろん、これは知的障害者への差別意識が根底にあることは間違いありません。 誰もが差別されることなく共生できる世の中に、というのは言うは易しですが、現実は難しいことも多いと感じました。 ただ、サムがスターバックスで誰よりも丁寧に、各テーブルのシュガーポットやミルク置きを整頓したり、埃一つないよう掃除したりするシーンからもわかるように、それぞれの人の障害の特質を理解すれば、その共生がしやすい環境を作ることは可能だと思います。 来年はパラリンピックも日本で開催されますし、障害を持つひととも自然に共生する社会を考えるうえでも、一見に値する映画だと思いました。 「外から見た生活」が本質と同じとは限らない その生活が幸せなのかを周りが決めつけることはできない、という例として、名優ミシェル・ファイファー演じる敏腕弁護士の存在がスパイスとなっていて面白い展開になります。 仕事では大成功をおさめている弁護士リタですが、実際は仕事人間で、家庭も崩壊気味、大事な息子には嫌われてしまいます。 サムが訪ねていく彼女の家は、典型的なエリートの住む豪邸。 それでも、そこにいるリタと夫、息子、それぞれの心はバラバラです。 そこは、サムとルーシーが、小さなみすぼらしい部屋で寄り添いながら暮らしつつ、お互いを想いあい暮らしていることとコントラストとして描かれています。 そして、リタも弁護をしていく過程でそのことに気が付いていきます。 世の中でいう「成功」が、必ずしも「本当の幸せ」ではないということに。 本当の幸せとは、自分を何より大切に思ってくれている人と寄り添っていられることだということなのでしょう。 日々リタのようなキラキラしたセレブな生活でもない暮らしをしている私も、家族に感謝しながら暮らそうと改めて思いました。 なんて愛らしいダコタ・ファニング ダコタ・ファニングの7歳とは思えない、キュートで、しかもおしゃまな感じの演技もとてもよかったです。 サムと一緒に暮らす中で、父親よりも賢くなっている自分に気が付いた時、あえて子どものように「よくわからないから、パパにやってほしい」と相手を傷つけないように幼児帰りしたり、周りが良かれと彼女を話そうとしたときに、規則に反して必死の思いで抵抗したり。 そのいじらしさに一喜一憂させられました。 この作品の成功は、複雑な環境で運命にあらがおうと戦う、等身大の7歳をダコタが演じたことに負うものが大きいと思います。 その演技力はその後も評価され、11歳のときには「アメリカ最強の女優」とも評されたほどです。 音楽も重要なポイント ビートルズの楽曲が背景で流され、思わず口ずさんでしまうほどです。 知的障害のある仲間たちともビートルズが最高だと話すシーンも出てきます。 これもドラマチックな展開を盛り上げてくれます。 心が温かくなりたいとき、今の人間関係に迷っているときに、見るとほっこりします。

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