君はいい子 感想。 天気の子、意外と批判的な意見が多いと思うのですが、もっと...

【みんなの口コミ】きみはいい子 を観た人の感想、評価

君はいい子 感想

天気の子、意外と批判的な意見が多いと思うのですが、もっと評価されるべき作品だと思いました。 まあ、「君の名は。 」もとても面白い作品だったので新海誠監督がそれだけ期待されてたというのもあるのかと思いますが。 君の名はや天気の子が2回も3回も見たくなるのは、それだけ細部までこだわって作られてるから、見る度に新しい発見があるからだと思います。 曲に頼っているという意見もありますが、それはそれだけ曲の使い方が上手いということなのでいい事だと思います。 話が浅いという意見がよく見られますが、私はそんなことないと思います。 確かに君の名はに比べてわかりやすい話ではありましたが、設定や銃などの道具、天気による感情表現はとても深く考えられています。 浅いと思う方はもっと読み取れる事が沢山あると思います。 もちろん読み取った上で、新海誠監督への期待を込めて厳しく評価されている方もいると思い出すが。 とにかく私はこの作品をもっとたくさんの人に見てもらいたいし、もっと面白いと思って欲しいです。 賛否両論あるのは当たり前です。 なのでみなさんの意見も聞きたいなと思いますので、どんどん感想をお願いします。 最後まで読んでくれた方、ありがとうございます.

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天気の子、意外と批判的な意見が多いと思うのですが、もっと...

君はいい子 感想

君はいい子のロケ地は? 君はいい子のロケ地ですが、小樽の何気ない風景がいいです。 君はいい子 あらすじネタバレ オープニングには仏壇の水を新しいものに交換する女性が出てきます。 この女性の名前は 「あきこ」です。 戦争で弟をなくし、その後あきこは結婚しましたが、離婚し両親が遺してくれた家に一人で暮らしています。 ある日、あきこがお茶を飲んでいるとインターホンが鳴り引き戸を開いたとたんに若い男性が 「申し訳ありませんでした」と大声で謝ってきました。 最近この付近の家に小学生がピンポンダッシュをしていると小学校に苦情が来たので謝りに来たと話すこの男性は、あきこの家の近所の桜ヶ丘小学校の新米教師 「岡野匡」です。 彼が担任をしている四年二組では、このところ 「小野君」という男子生徒がおもらしをしてしまう事が気がかりでした。 優柔不断な性格の岡野は、自分のクラスを上手くまとめている自信がありません。 専業主婦の雅美は夫が海外に単身赴任しており、三歳のあやねと二人でマンションに暮らしています。 外では穏やかなママを装いつつ、家ではあやねに厳しく怒ってしまう一面があります。 雅美がマンション近くの公園で、見た目も華やかでおしゃれなママ友と新しく近所に出来たカフェの話をしていると、ヤボったい服装でやたら明るい大宮陽子がやって来ます。 ママ友も雅美も少し陽子の天真爛漫なところが本当は苦手です。 この映画は主に「岡野」「あきこ」「雅美」の物語が少しずつ順番に進みます。 さて、岡野が受け持つ四年二組では、給食のパンをちぎって口に運ぶお嬢様キャラの清水の事を他の女子が 「気持ち悪い」とクラスの友達に手紙を回して影でからかっています。 そして男子は授業中に一人がトイレに行きたいと言うと他の生徒も行きたがって常にクラスが騒がしい状態が続いています。 岡野は 「本当にトイレに行きたい人だけ行きなさい」と生徒達に話しますが、その言葉を聞いて暗い顔をしている生徒が居ました。 一方の雅美は、陽子が押していたベビーカーをあやねが「 自分も押してみたい」と言い出しますが、上手くベビーカーを押せず、結局ベビーカーに乗っていた赤ちゃんが泣き出します。 帰宅した雅美は 「余計なことをするな」と激しくあやねを叩きます。 雅美はあやねの消極的なところ、どんくさいところが目につく度に家であやねを叩いているのでした。 そしてあきこはスーパーで万引きをしたと店員に疑われ自分は認知症かと心配しますが、家には 「ちょっと不思議なお客さん」がやって来ます。 皆まっすぐで不器用に生きているけれど誰もが 「いい子」。 ありのままの自分を誰かに抱き締めてもらいたいと願う大人と子供の物語。 高良健吾さん演じる、仕事にも私生活にも先詰まり感のある小学校教諭を中心に、大小の問題を抱える市井の人々を描く物語。 いわゆる「プロ」ではない出演者が大勢出演しており、そのことによって観ていてじれったい部分もあるけれど、こてこての作り物ではないドキュメンタリーのような空気が私には新鮮でした。 そしてその一方「プロ」の子役さんが、うまい!ごく自然にその場に居ることのできる、嫌みのない彼らのおかげで、素直にスクリーンの中へ観客である自分も入り込めるというか。 虐待を扱った部分もあるので、観ていて苦しいシーンもありましたが、それらを乗り越えてのラストシーンは秀逸です。 描きすぎていないのもいい。 お勧め、です。 本ページの情報は2018年12月時点のものです。 最新の配信状況は U-NEXT サイトにてご確認ください。

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【推しの子】に思ったこととか作品の感想とか かぐや様と並行でいけるか!?

君はいい子 感想

ファーストインプレッションはこちら。 天気の子 観終った。 ぶっちゃけめっっちゃつまらなかった。 君の名は。 と比べて心が盛り上がるシーン皆無。 よくこんなにつまらない脚本書けるなと感心するレベル。 でも君の名は。 は面白かったけど好きじゃないのに対して、こっちはつまらなかったけどかなり好き。 — あさひんご hulu民 asahineru 私が何か書くよりも、このエントリが楽しかったので、こちらを読んでほしい。 以下は、このエントリにおんぶにだっこしながら軽めに感想を述べます。 魔法のように素晴らしい瞬間と地獄のようにひどい瞬間がメチャクチャに混在しており、ブンブン振り回された。 現実的な描写が冴えわたるほど、いいかげんなご都合主義は悪目立ちする。 一言でいうとこれに尽きると思う。 私は振り回してもらうところまで行けなかったけど。 つまらない粗が目立つのは、素晴らしい部分が素晴らしかったから。 良いもの「だけ」が見たい人にはきつかろうが、素晴らしいものがみたい人にはおすすめだ。 「君の名は。 」主要人物の再登場、オレは全然嬉しくなかった。 瀧くんが影から日向に登場とか、三葉ちゃんの顔を勿体ぶってなかなか見せないとか、ひどく映画の邪魔になってると感じた。 あの2人の声はやはり特別で、モブじゃ済まねえんだよな。 それがなくてもこの映画、「ラノベの設定みたいな話」がこの映画そのものだったりプリキュアのコスプレとかCCさくらの「ぜったいだいじょうぶだよ」リスペクトとか、映画の枠を越境してくるメタな描写が多くて忙しいのである。 ここら辺がこの作品のダメダメなところだろうと私は思った。 素晴らしいところが本当に素晴らしいのに、つまらないノイズがいちいち感情移入を妨げる。 気が散る要素が多すぎるのだ。 作品内より作品外のSNSを意識したネタをたくさん入れてて、なんか 台湾ティーを売るためにタピオカマシマシにしました感が強いのはいかがなものかと思う。 「天気の子」はやっぱり面白かったと思う。 ただそれでもオレが不安を感じていることがあって、引き算で作っていたと思われる先生のミクロな映画が、どんどん足し算を繰り返すマクロな映画に変質してきているということだ。 オレのこのレビューの褒めたり貶したりの支離滅裂も、足し算の映画ゆえのことだ。 いらんものをどんどん引いて純化した、結晶のような美しい、頭のおかしい「秒速5センチメートル」のような映画を新海先生はもう作ってくれないのではないか、という不安が拭えない 私はマンガ版「秒速5センチメートル」が素晴らしかったと思うような人なので、映画版ほど徹底した引き算をされるとそれはそれで困ってしまうのだけれど、言いたいことはとてもよくわかる。 でも「天気の子」の場合、二人は高校生と中学生だ。 特にホダカ君がいけない。 家出をしたり仕事をしたりする必要があったから高校生という設定にしているのはわかるが、内面はどう考えても小学生なのだ。 彼が高校生相応の内面を持っていると感じさせる描写はなかった。 エピローグでやっと高校生になったばかり、という印象を与える。 このギャップは結局最後まで解消されず、見ている間ずっとしっくりこなかった。 というか、この作品大人も出てくるけどみんながみんなおかしな行動ばかりする。 君の名は。 の変電所爆破テッシーと同じく、新海誠ワールドの人はちょっとしたきっかけがあると喜々として犯罪を行うものだ、という倫理観のようです。 世界がくるってるという話をしたいなら登場人物はそれなりに常識的であったほしかったのに、そもそも登場人物がくるってるから、世界がおかしくなってもすんなり適応してしまっている。 いったい何が描きたかったのか、という気分になってしまう。 なんとなく「万引き家族」を見ているような気持になった。 この作品は感情移入に失敗すると脚本はかなり致命的だと思う(いつもの新海誠) 途中からは感情移入するものではないと頭を切り替えてしまったのだが、これがまたよくなかった。 新海誠作品で感情移入の努力を放棄することは死を意味する。 なんだかんだ言って音楽や劇中歌をうまく利用して感情移入することがこの物語を楽しむのに必要な態度であったのに、それを放棄してしまった結果、そのあと自分が見た物語展開は異常に単調で、くるっていて、もっさりしたものと感じられてしまったのだ。 今から思うと、やはり「君の名は」は、いろんな矛盾やツッコミどころをはらみつつも、そのスピーディーな展開や大がかりな仕掛けがあり、視聴者を休ませずに楽しませる意欲が強い作品だったのだと思う。 「天気の子」は、設定も絵の構図もとても壮大だったけど、物語としてはあまりにもミクロすぎた。 こんなものはセカイ系の仲間に入れられない。 セカイ系なめんな。 イメージとしてそう見せかけているだけで、結局はいつもの新海誠じゃねえか(誉め言葉)。 そんな感じだった。 勝手にセカイ系的なものを期待してたんだけどそこですかされた気持ち。 「世界を守るか、彼女を救うか」なんて切実な問いは最初から存在しなかったというのだ。 別にお前が世界を救わなくても世界は何とかなると。 どっちでもいいから好きなほうえらべや、と。 なんだこれおもしれえ。 「セカイか彼女か選べ」じゃなくて「逮捕されないようにおとなしく過ごすか、大切な彼女を救うかを選べ」に問題がすり替えられているw こうなるとまじめに考えるのがあほらしく見えてくる。 世界のことは知らん。 たぶん大丈夫だろ」ではあまりに軽い。 軽いというかチャラい。 なんかウェイウェイしてるw でも、私はこの作品全然嫌いじゃない。 なんなら「君の名は」よりも好きだといえる というわけで、私にとってはこの作品はとにかく「ひどい」作品だったと感じた。 「というかこれ物語なの?」と。 冒頭で書いた通り、よくこんなくそみたいな脚本で勝負しようと思いましたね正気ですか?とさえ思う。 「描きたいシーン」ありきの作り方。 全体の整合性とかキャラクターの自然さなんかは二の次。 そして最後に、全然説得力ないけど言いたいことだけ言って視聴者をモヤモヤさせて終わる。 ひどい。 それでも、私はこの作品かなり好きだ。 この作品は新海誠でないと作れない作品だったと思う。 数々のマイナス要素を全ていけにえとして比類なき美しいイメージがいくつか描かれた。 この作品で描かれる、とあるシーンの美しさは「君の名は」を完全に凌駕していると私は思う。 最初はバーニラバニラまでやって現実を生々しく描いたそのあとで、こんな光景を描くかーという感動があった。 リアリティ的にはどうかと思うけど美しかった。 エンディングに不満がある人は多いだろうけれど私はこれも嫌いじゃない。 見ている間は楽しいけど何も残らない「君の名は」よりもずっとオタク的には好ましい終わり方だと思った。 私はこの言葉がかなり印象に残った。 強かったり正しかったりする人間が勝つなんて当たり前のことなんで、むしろ弱くて間違ってる人間に美しさでもって勝利への説得力を与えるのが美術の価値なのではないか 本当にくそみたいな幼稚なお話だったけど、私もこの一点をもってこの作品を肯定したいと思う。 まだ未見の人は是非「神様がうそをつく」を読んだ後にこの映画見に行ってほしい。 新海誠には、こじんまりまとまったきれいな作品なんかより、今後もシーンの力で勝負してほしいと思う。 もちろん感情移入できるような作品であればなおうれしいけれど(笑) 「天気の子は、セカイ系をぶっ壊してなんかいねーよ。 ただ新海誠がこの光景を描きたかったからそうしただけなんだよ。 」 「エロゲヲタがそこに複数の選択肢やマルチエンディングを見出ちゃうのは主人公がアホに描かれすぎてるからなだけで新海誠は特に考えてないぞ」 せやなwwwほんまわかる— あさひんご hulu民 asahineru 蛇足。 素晴らしい。 そうそうそうだよね。 自分が好きなシーンだけ自分で補完しながらみたら神作品だったよね。 あんなefみたいな天使の梯子から始まって、keyみたいな話やって、leafやねこねこソフトみたいな伝奇ものしつつ、CIRCUSみたく魔法とその代償の話をして、最後に「狂ってしまった世界だけどそれでも続いていく」ってまたminoriに戻る「天気の子」が? 「銀色」わかりみすぎてつらい。 ついでだから「車輪の国」みたいに、隣にいるけど見えてなかっただけのお姉さまがいたという設定でアペンドディスク作ろうぜ。 追記:ぼくのかいしゃく、まちがってたかもしんない。 ラストシーン、素晴らしいと思ってたけど言語化できないなと思ってたけど 私、ちゃんと理解できてなかったみたいですね。 「世界なんて最初から狂っていたんだから自分たちにはどうしようもなかったんだ」という慰めの言葉を陽菜にかけていたとしたら、それじゃあ雲のむこうと同じで、全く無内容な、相手に届かない独りよがりな「大丈夫」になってしまう。 でも、彼は、帆高はそうしなかった、そうじゃなかったんだよ……。 別に何か「大丈夫」であることを保証してくれるものはなく、敢えて言えば、その言葉の言霊だけがそれを保証している。 この開き直りの凄まじい力強さですよ。 無根拠性を分かった上で、それでも敢えて引き受けて、未来を言祝ぐこと。 過去ではなく、今と未来を見ること。 祈り続ける陽菜の姿をみた帆高は、そこで初めて彼女の思いに気づく。 あの時初めて帆高は陽菜が自分と同じ思いを抱いているという確信の上で「大丈夫」と声をかける。 ここで初めて、二人は対等に向き合えたのだ もちろんこれはホダカの主観に過ぎない。 現実としては二人は責任なんて取れやしない。 誰も彼らに責任を迫らないヌルすぎる世界だということには変わりない。 作品が中途半端なところで主人公たちの選択と世界のリンクをぶった切って主人公たちを甘やかしてるという事実は変わらない。 それでも、ヒナは自分が世界より自分を選んだことを人のせいにせず自分で背負おうと決めたし、ホダカもその彼女の意思を尊重する。 世界なんて到底背負いきれないけど自分のできる範囲で自分のやったことから逃げ出さずに向き合う決意はしている。 この点はちゃんと評価すべきだった。 この記事の追記部分がさらに良い。 ちゃんとこの作品を理解できた人ほど、「今までの新海誠ではない」といい、わたしはたいしてよくわかってないくせして、わかったような顔をして「だって新海誠だし」でちゃんと理解しようとするとから逃げていたのかもしれない。 これは反省すべきだなうん。 残念ながら、今の私はこの人と感想戦ができるレベルにない。 もっと精進せねばいかん。 tyoshiki.

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