ナウティス。 ナウクラティスとは

ナウクラティスとは

ナウティス

ナウクラティスの位置を示した地図 紀元前7世紀エジプトでのギリシャ人の活動を記録した最古の文献はの『』で、とのが嵐で難破し、(付近)に漂着したという話を伝えている。 (朝)のファラオ(紀元前664-610年ごろ)はその当時、他のの支配者達と対立し、敗走していた。 そしての町ののを求めたところ、「海からやってくる青銅の人々」の助力を求めよという託宣が下った。 難破した海賊達は青銅製の鎧を身につけていたため、ファラオは彼らの助力を求め、見返りとして報酬を提供すると申し出た。 海賊達の加勢によってファラオは勝利を収め、報酬としてナイル川のペルシウム支流沿いに2区画の宿営地を与えた。 歴史 [ ] 文献 [ ] 紀元前570年、・(治世: 紀元前589-570年)は、その傭兵たちの子孫を中心とする3万人のカリア人とイオニア人を再び雇い、元将軍で反逆者となったイアフメスと戦わせた。 彼らは勇敢に戦ったが敗北し、(治世: 紀元前570-526年)がファラオとなった。 イアフメス2世はギリシャ人傭兵の宿営地を閉鎖し、彼らをに移し「同族であるからファラオを守る」親衛隊として雇った。 ヘロドトスによれば、イアフメス2世はこのギリシャ人達を好み、様々な報酬を与えた中で、ナウクラティスという都市への定住を許したのだという。 ヘロドトスの記述では、ナウクラティスはギリシャ人が作ったのではなく、それ以前から存在していたと見られ、考古学調査でもそれが裏付けられている。 この元々あった都市にはエジプト人、ギリシャ人だけでなく、人も混在して住んでいたと見られている。 その都市が紀元前570年以降間もなくギリシャ人に譲られたと考えられている。 イアフメス2世はナウクラティスを西洋との交易拠点および港に転換させた。 これにはギリシャ人を1箇所に封じ込め、彼らの活動をファラオの制御下に置くという意味もあった。 したがってナウクラティスは特定の都市国家の植民都市として始まったのではなく、北部の交易拠点のような(交易拠点)として始まった。 ヘロドトスによると、ナウクラティスには Hellenion という聖域(壁で囲まれた神殿)があり、次の9つのギリシア都市国家が共同で運営していたという。 国家: 、, 、• 国家: 、、、• 国家: 、、は Hellenion とは別の聖域を持っていた。 したがって、ナウクラティスには少なくとも12のギリシア都市国家の人々が共同で暮らしていた。 これだけでも珍しいが、かなり長い間続いたと判明している。 発掘 [ ] ナウクラティスはが1884年から1885年に発掘して発見した。 その後、 が発掘を引き継ぎ、 が1899年から1903年にかけて発掘した。 ピートリーの描いたナウクラティスの平面図 考古発掘の焦点は北と南の2つの区域に絞られた。 南端にはエジプト人による倉庫または宝物庫(右図ではAにあたる。 その神殿の東隣りからはのの印章を作る工房が見つかっている。 北の区域では、いくつかの神殿の遺跡が見つかっている(E: 神殿、F: 神殿、G: 神殿)。 ヘロドトスが記していた Hellenion は Hogarth が1899年に発見した(図ではFの東隣り)。 奉納された陶器の年代から、イアフメス2世の治世よりも古くからこの聖域が存在していたことが明らかとなっている。 1977年、アメリカの考古学者 W. Coulson と A. Leonard が「ナウクラティス・プロジェクト」 を立ち上げ、1977年から1978年にかけて調査を行い、1980年から1982年まで主に南部の発掘を行った。 だが、彼らが現地に赴いた時には、の上昇によって北の聖域部分の地下15m以下の部分は地下湖に沈んでいた。 今もナウクラティスの北部は水面下にあり、さらなる調査を困難にしている。 それまでの発掘調査は相補的とは言えず、宗教的部分だけが注目され、商業的側面や住居としての側面はほとんど無視されていた。 ナウクラティスの歴史上の重要性はその交易拠点としての特殊性にあるが、そういった観点の調査はほとんど行われていなかった。 さらに、時代や時代の変遷も完全に無視されていた。 さらに彼らを落胆させたのは、地元民による破壊である。 ピートリーの時代に既に3分の1の区域が日干しレンガを肥料にするために掘り返されていた。 その後約100年の間にナウクラティスの東部の日干しレンガはほぼ掘りつくされていた。 地下水面の上昇により、彼らはプトレマイオス朝より古い部分を調査できなかった。 ピートリーが「大きな聖域」とした場所がエジプト人による建物であるという点では Hogarth と同意見で、この遺跡の南部はギリシアとは無関係の町だという。 主な出土品は陶器で(ほとんどは破片だが、完全なものもある)、神殿に奉納されたものだが、石の肖像やスカラベの印章なども見つかっている。 それらは世界各地の博物館に分散して収蔵されており、初期の出土品の多くはイギリス(主に)、その後の出土品は主にアレクサンドリアの博物館に収蔵された。 影響 [ ] エジプト側がギリシア側に交易品として提供したのは主に穀物だが、他に亜麻布やパピルスもあった。 一方ギリシア側がエジプト側に提供したのは主に銀だが、他に木材やオリーブ油やワインもあった。 ナウクラティスはサイス朝ファラオに戦術や航海術に長けた傭兵を供給してくれる場所となった。 ナウクラティスで見つかったスフィンクスの描かれた皿。 紀元前6世紀 ギリシャ人にとってナウクラティスは、以降ギリシアでは失われたエジプトの建築や彫像の驚異に触れる場所として着想の源泉となった。 エジプトの工芸品は間もなくギリシアへの交易品となりギリシア世界に流通するようになった。 一方でギリシア美術もエジプトに流入したが、的なエジプト文化への影響は極めて小さかった。 実際はエジプトに旅行する前から幾何学を確立させていたが、ヘロドトスはエジプトの幾何学の方がギリシアよりも古いと考えていたため、タレスがエジプトで幾何学を学んだと考えたと見られている。 ナウクラティスで見つかったは発生期の特に初期のものであることが判明している。 陶器に書かれた銘には、、コリントス方言、ミロス島方言、レスボス島方言などの最古の記述があった。 からの変化の過程にあるものもあり、特に興味深い。 約1世紀後に確立された現代のギリシア文字の形との比較から、ギリシア文字がどのように成立し広まって行ったかを知る資料となっている。 ナウクラティスはエジプトにおけるとしては最古ではない。 が建設されるまでは古代エジプト有数の港だったが、ナイル川の流れが変化して港として機能しなくなっていった。 その他 [ ] ヘロドトスは、ナウクラティスに纏わる逸話として、詩人の兄クサンテスとナウクラティスの娼婦ロドーピスの話を記している。 ロドーピスは美しいトラキア人奴隷で、彼女を自由にするためクサンテスは大金を支払った。 自由の身となったロドーピスは娼館を立てて営業し、若干の金を蓄えた。 感謝の印としてロドーピスは高価な奉納供物を捧げ、それが最終的にに置かれるようになったという。 ヘロドトスの時代にもその供物がデルポイにあったと記している。 脚注・出典 [ ]• ヘロドトス『歴史』第2巻152節• ヘロドトス『歴史』第2巻154節• 考古学調査によれば、ナウクラティスの成立は紀元前625年ごろまで遡ると見られている。 詳しくは Peter James 2003 を参照• ヘロドトス『歴史』第2巻178節• 本文の位置の説明は、ピートリーの最初の発見に従ったものではなく、最新の考古学的発見に基づいている。 , pp. 120-121• , p. 154 - "On arriving at Naukratis the visitor may well be disappointed for the entire site of the early excavations is under water, a plight predicted by Petrie in 1886.. , p. 153• , p. 159• , p. これを "corn-for-coin" 仮説ともいう。 ヘロドトス『歴史』第2巻79節。 「エジプト人は自分達の習慣に執着し、外国の習慣を全く採用しない」• ヘロドトス『歴史』第2巻91節。 「エジプト人はギリシアの風習を採用しないし、どんな外国の風習も採用しない」• ヘロドトス『歴史』第2巻109節• , pp. 52-53• , p. 271• , pp. 222-3• ヘロドトス『歴史』第2巻135節 参考文献 [ ]• The Greeks Overseas: Their Early Colonies and Trade, New York: Thames and Hudson, 1980 , pp. 111-133,• Gardner, Ernest A. Leonard, A. ; Coulson, W. Leonard, A. ; Coulson, W. Jul. Leonard 1997 , Ancient Naukratis: Excavations at a Greek Emporium in Egypt. Lloyd, Alan B. 1975 , Herodotus Book II, Introduction, Leiden: E. Brill• Petrie, W. Austin - Greece and Egypt in the Archaic Age. Cambridge Philological Society, 1970. Coulson, Ancient Naukratis Vol. 2, The Survey at Naukratis and Environs, pt. Oxford: Oxbow. 1996. Oxford: Oxford University Press, 2000. Leonard Jr. , W. Coulson, The Naukratis Project, 1983, NARCE 125, 1984, 28-40. Venit - Greek Painted Pottery from Naukratis in Egyptian Museums. 外部リンク [ ]•

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ティスカリ (Tiscali)

ナウティス

Disc1(Now Side)には、現代ジャズ・シーンの中心で活躍するアーティストたちの現在進行形のジャズを収録。 Disc 2(Standard Side)には、ジャズ界の巨人たが残した誰もが一度は聴いたことのあるジャズ を収録。 レンタルの際はそれぞれのディスクごとにご注文ください。 1 キャリー・オン / ノラ・ジョーンズ• 2 ナイト・アンド・デイ / ダイアナ・クラール• 3 リヴ・ユア・ファンタジー / ホセ・ジェイムズ• 4 デイ・トゥ・デイ / ロバート・グラスパー・エクスペリメント• 5 スターティング・ファイヴ / J-Squad• 6 ハートブレイク・ヒル / 山中千尋• 7 雨のパリで / サラ・マッケンジー• 8 ヒーズ・ファニー・ザット・ウェイ / アンドレア・モティス• 9 セカンド・ライト / ブルーノート・オールスターズ• 10 セゾン・コントラディクトア / ヤロン・ヘルマン feat. -M-• 11 アディオス・ノニーノ / 寺井尚子• 12 コパカバーナ / イリアーヌ・イリアス• 13 パッシン・スルー Live / チャールス・ロイド・ニュー・カルテット.

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ティズナウ

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エジプトでの施政 [編集 ] エジプトで穀物が不足した時、クレオメネスはエジプトからの穀物の輸出を禁止し、重い輸出税をかけた。 また、穀物の価格が10ドラクマになった時、クレオメネスは穀物を買い取って32ドラクマで売った。 その他にもクレオメネスは穀物価格のために市場に干渉した。 経済学者のは、クレオメネスが運営した穀物市場は、世界初の価格が変動する国際的な市場だったと指摘している。 アレクサンドロスはクレオメネスにの建設を命じ、クレオメネスはエジプトの主要な市場であるの人々にアレクサンドリアへの引越しを通達したが、カノプスの人々はクレオメネスに金を渡してそれを免れようとした。 アレクサンドリアの建設が進むとクレオメネスは再び同じ内容を通達し、それを断るならば以前以上の額の支払うよう要求した。 その金額はカノプスの人々の支払い可能な額ではなく、彼らはしぶしぶ引っ越した。 クレオメネスは迷信によっても金儲けをした。 彼の息子の一人がに殺され、彼はワニを滅ぼすよう命じた。 しかし、エジプトのたちはワニを神聖視しており、ワニを守るために金を集めてクレオメネスに渡したため彼は命令を取り消した。 別の機会に彼は神官たちに彼らの祭事は金がかかりすぎるので減らすべきだと命じたが、神官たちがの宝物を引き渡すのとひきかえに命令を取り消した。 親友のが死んだ時()、神託を受けたアレクサンドロスはヘファイスティオンを英雄神として祀ることにし、クレオメネスにアレクサンドリアへの霊廟の建設を命じた。 この時王はその仕事に励むならば彼の不正の数々を見逃すと約束した。 アレクサンドロスの死後 [編集 ] のアレクサンドロスの死後の属領分割()ではがエジプトに任じられ、クレオメネスはその補佐につけられた。 しかし、クレオメネスがプトレマイオスと対立していたと親しかったために、プトレマイオスはクレオメネスが自分に従わないと考えてクレオメネスを殺害した。 クレオメネスの8000タラントンもの財産はプトレマイオスの手に渡り、彼はその金で対ペルディッカス戦のための軍備を整えた。 註 [編集 ].

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