鮫島 海岸。 磐田お宝見聞帳 鮫島海岸

磐田お宝見聞帳 鮫島海岸

鮫島 海岸

鮫島海岸でサーフゲーム 釣行当日に狙ったポイントは、前回と同じ静岡県磐田市の駒場灯台付近だ。 ところが、どういう訳か駐車場は満車で道端にも車はハミ出していて止められそうにない。 きっとSNSなどで、いい情報が展開されたのだろうとすぐさま諦め、もう少し東の様子を見ようと移動した。 遠州大橋から伸びる国道150号線を走り、鮫島海岸の駐車場に到着したのは午前6時前。 ここには空きがあり、釣り支度を整えポイントに向かうことにする。 が、遠州灘サーフの多くは車両の乗り入れができるから、駐車場の車の数がそのまま釣り人の数に直結しないことが多いのである。 と、心配しながら階段を登っていくと、波打ち際に立つ釣り人は少なく釣りはできそうだ。 しかし、まだまだ安心はできない。 実はこの間の台風19号の影響で、階段のすぐ先は崖。 どうしようかと一瞬迷ったものの、右手の草原に踏み跡を見つけて、その先のスロープで砂地へと降りることができた。 当日のタックル (作図:週刊つりニュース中部版 APC・永田幹夫) 波の立ち方でだいたい地形は分かるが、引き波の強弱はルアーが受ける抵抗で感じ取るのが一番いい。 すると幅10mほどのワンド形状の東側に小さなスリットがあり、出るならここかな?と直感する。 だが10数投して反応がないので、気になるワンドの東側に戻ることにした。 40㎝ハマチから登場 ルアーチェンジすることなくキャストを繰り返していると、やがて釣り人が2人、スリットを挟んで釣りを始めた。 自分のルアーへの期待に加え周囲の状況が気になってしまうというのも、サーフならではの雰囲気である。 そして15分くらい経過したころ、ワンド中央の釣り人のロッドが曲がり、続けて自分のルアーにもヒットした。 すぐに本命ではないと分かる引き応えの主は、40cmのハマチである。 今季サーフでの初物はハマチだった (提供:週刊つりニュース中部版 APC・永田幹夫) 慎重に引き寄せ、せっかくの初物をキープしようとエラと尾ビレの付け根にナイフを入れて血抜きを終えると、短時間のラッシュも終わって再び静かな釣りに戻ってしまった。 周囲で50cm級ヒラメ顔見せ 干潮の潮止まりまで残り1時間。 帰る釣り人も出始めたころ、スリットでワームをキャストする釣り人にヒットだ。 強引な巻きで上がったのは50cmに近いヒラメ。 やられた感を若干抱きつつも、いることが分かり沖へ遠ざかっていく本命をイメージして、久々のルアーチェンジには32gのメタルジグを選んだ。 最後は痛恨のバラシ フルキャストの2投目、着底後に3mほどスローで泳がせると、ついにドンとアタリが出た。 数回追いアワセをして万全とし、寄せに入る。 だが、相手も必死で沖へ逃げようと、腕の自由を奪うように動き回り、しばらく均衡が続いた。 そしてそれをこらえ切った直後、頭を降るような感触が一瞬あってテンションがなくなってしまった。 いわゆる痛恨のバラシな訳だが、今回の釣行は攻めにストーリーがあってヒットという答えを導けたから十分納得だ。 ひとまず初ハマチを肴(さかな)に一杯やりながら、次回のコンタクトではどう寄せ切るか。 そう考える時間も実に面白い。 <週刊つりニュース中部版 APC・永田幹夫/TSURINEWS編>.

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鮫島海岸の釣り情報 <゜)))彡 魚速報

鮫島 海岸

磐田市の鮫島海岸。 終戦の玉音放送から5日後の1945年8月20日深夜、白地に緑の十字を記した日本軍機が不時着した。 住民の助けで乗員らは東京に向かうが、それが連合国との降伏交渉に臨んだ軍使だったと地元の人々が知ったのは最近のことだ。 72年目の今夏、海岸に記念碑が建つ。 「緑十字機」と呼ばれるこの飛行機は、「一式陸上攻撃機」を改造した輸送機。 連合国側の指示で機体の日の丸を塗り替えた。 軍使らは千葉から沖縄に飛び、米軍機に乗り換えてマニラに。 連合国側が示す降伏文書や進駐予定を携えて沖縄に戻り、千葉に帰る途中だった。 だが、8月20日午後11時55分、燃料切れで鮫島海岸に不時着した。 東京に急がねば重要任務が果たせない。 折しも見張り番の漁師が浜におり、住民らが電話連絡や道案内をした。 軍使らの一行は浜松から別の飛行機に乗り、8時間半遅れで東京に。 首相官邸に向かうことができた。 地元の長野地区鮫島自治会長の….

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静岡)「降伏軍使」不時着の海岸 72年目の夏に記念碑:朝日新聞デジタル

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磐田市の鮫島海岸。 終戦の玉音放送から5日後の1945年8月20日深夜、白地に緑の十字を記した日本軍機が不時着した。 住民の助けで乗員らは東京に向かうが、それが連合国との降伏交渉に臨んだ軍使だったと地元の人々が知ったのは最近のことだ。 72年目の今夏、海岸に記念碑が建つ。 「緑十字機」と呼ばれるこの飛行機は、「一式陸上攻撃機」を改造した輸送機。 連合国側の指示で機体の日の丸を塗り替えた。 軍使らは千葉から沖縄に飛び、米軍機に乗り換えてマニラに。 連合国側が示す降伏文書や進駐予定を携えて沖縄に戻り、千葉に帰る途中だった。 だが、8月20日午後11時55分、燃料切れで鮫島海岸に不時着した。 東京に急がねば重要任務が果たせない。 折しも見張り番の漁師が浜におり、住民らが電話連絡や道案内をした。 軍使らの一行は浜松から別の飛行機に乗り、8時間半遅れで東京に。 首相官邸に向かうことができた。 地元の長野地区鮫島自治会長の….

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