あんたはエライ 小松。 小松政夫“ギャグ人生”まっしぐら!あんたはエライ!

小松政夫「ど~か、なが~い目で」 生前葬と銘打った舞台「うつつ」31日に初日:イザ!

あんたはエライ 小松

概要 [ ] が司会を務めていた日曜午後の番組で、ゲスト歌手による歌のコーナー以外にもさまざまな企画コーナーを設けていた。 番組序盤は50人の子供たちがゲストに質問をするコーナー、中盤は選ばれたゲスト1組がゲームに挑戦するコーナー、終盤はが進行役を務めるトークコーナーという構成。 特に終盤のトークコーナーにはゲストもダンスに参加するサブコーナーを設けるなど、タイトル通りにゲストや視聴者をドッキリさせる要素を取り入れていた。 番組収録は毎週木曜日に行われていた。 この番組はにより、日本各地の放送局で放送されていた。 近畿地方においてはテレビ朝日系列局であるでは放送されず、代わりに・・の3局で放送されていた。 出演者 [ ] 司会 [ ]• (1980年4月 - 1982年3月)• (1982年4月 - 1983年3月)• (1983年4月 - 1984年3月)• (当時テレビ朝日アナウンサー、1984年4月 - 1985年3月)• (1985年4月 - 1986年3月)• (1986年4月 - 終了まで)• (当時テレビ朝日アナウンサー) レギュラー [ ]• ほか スタッフ [ ]• 構成:、かとうまなぶ、日高はじめ、、飯田誠一、伊藤義信、内堀尚• 演奏(一週でも担当したことのあるバンド):とスイングフェイス、とゲイスターズ、とシャープスアンドフラッツ、森寿男とブルーコーツ• コーラス:ミンクス• 編集:• ディレクター:成田信夫、湧口義輝、大村正二、鍵谷伸宏、• 演出:山口是利、成田信夫• プロデューサー:竹田賢一、、塚本康二、• 制作著作:テレビ朝日 主なコーナー [ ] ちびっ子ドッキリインタビュー [ ] 番組序盤のコーナーで、毎回50人の子供たちがゲストにさまざまな質問をぶつけた。 コーナー開始時にはシャッターが開き、コーナー終了時にはブザーが鳴ってシャッターが下りるという演出があった。 当初はゲストの回答に対して子供たちがどう思うかのアンケートを取っていたが、これはやがて廃止された。 このコーナーは、1989年9月に『』で放送された『』で1度だけ復活したことがある。 スタードッキリルーレット [ ] ゲストがさまざまなゲームに挑戦していたコーナー。 「ゲームルーレット」と呼ばれるルーレットでゲームの種類を決めた後、「ゲストルーレット」でそのゲームに参加するゲストを決めた。 ゲスト全員が参加する際には、ゲストルーレットを省略することもあった。 ゲームは、ダンサーの衣装に付いている言葉を探して当てる「ぴったしカンカン踊り」(『』のパロディ)や、画鋲の付いた羽子板で風船をするゲームなどがあった。 当初は小松政夫が進行役を務めていたが、担当がせんだみつおに変わってからは「 せんみつのダブルルーレット」と題して行われるようになった。 スタードッキリ日記 [ ] ゲストの1人がマイクの前に立ち、スタッフが作成した奇妙な日記を読むコーナー。 その日記のワンフレーズは、ヒット曲の歌詞の部分を使用していた。 そして最後は、の「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」のワンフレーズ「ほんとにほんとにほんとにほんとに、ごくろうさん」で締めるというものだった。 に関するフレーズではの鳴き声「ガオー!」になるのが定番であり、和田本人の前でも使われたことがある。 コマっちゃんのごきげんよう [ ] 小松政夫が風キャラクター(淀川モノマネ用の眼鏡を掛け、着物姿)に扮し、ゲストの1人を招いてトークをするコーナーで、コーナー後半はそのゲストも参加する踊りのコーナーとなっていた。 前期 突然チリ紙交換車風のアナウンス「毎度、お騒がせいたしております。 こちらはタコフン音頭でございます」が入って暗転、入れ替わりで祭礼の衣装を着たチアリーダーと男児たちがとともに現れた(男児たちは赤いを締めていた。 後に、褌を締めたタコの着ぐるみが参加するようになった)。 そしてチアリーダーと男児たちが「の小松さーん!」と叫ぶと、淀川眼鏡の代わりに鉢巻を締めて額に扇子をかざした小松が、着物を脱いで赤い法被と赤い褌姿となり「今日も元気だ、お尻が綺麗!タコフン音頭で日本全国花盛り!」と口上を述べた後、ゲストとともに「タコフン音頭」を歌いながら踊っていた。 テレビ朝日の期首特番『』でも、番組内の応援としてこれを行ったことがある。 後期 突然保坂正紀が現れ、彼がアナウンスを始めると小松は姿を消すが、その後しばらくして小松がロックンローラーに扮して再登場し、「エライあんたのロックンロール」をゲストとともに踊りながら歌っていた。 スタードッキリ本人クイズ [ ] 1981年11月18日放送分より開始。 司会は保坂正紀。 毎回1人のゲストが『』形式のクイズに挑戦していた。 問題は、前期では12問、後期では10問あった。 好成績を収めると、天井から大量の紙吹雪が降り、海外旅行が贈られた。 正解数が少ないと、ナレーターが「きつ〜い一発」と称して行う強烈な質問に答えなければならない罰ゲームを課せられた(この時には落雷の演出が入った)。 」の2部構成になっていた。 スタジオセットの構成は、前期では解答席が画面左から右へ移動するパターン。 後ろの電飾は正解なら赤、不正解なら青が灯るというもので、不正解だとセット後ろにある巨大なハンマーを模したものが動き、それが解答者席にいるゲストの頭に直撃した。 もちろんハンマーは柔らかい材質でできている上に、頭に当たった時に入る衝撃音も単なる効果音だった。 後期では解答席は固定され、正解するたびに花びら状にランプが付く構成だった。 備考 [ ]• 放送第1回では、前番組『』の司会者・が大写しされた紙をぶち破って関口宏が登場し、「山城さんは火曜日に移りました」と前番組の放送曜日変更の旨を伝える演出があった。 1986年4月8日に18歳の若さで自らの命を断ったが最後にテレビ出演したのが、同年4月20日にオンエアされたこの番組だった。 当該回の収録は岡田の死の4日前にあたる4月4日に行われ、20日当日には一旦お断りの(収録日)を入れた上でそのまま放送。 岡田が「」を歌い終えた直後のシーンでは、「つつしんで岡田有希子さんのご冥福をお祈りします。 」というテロップが表示された。 2009年2月8日放送の特別番組『・あのシーンをもう一度! 伝説の高視聴率』で、本番組紹介時に「ちびっ子ドッキリインタビュー! 」でゲストに質問をぶつける子供50人がいる座席部分の映像が出されたが、への配慮から処理が施されていた。 その10年後の2019年2月1日に放送の『3時間スペシャル』の企画「2度と見られない! テレ朝60年奇跡の発掘映像ランキング」では、子供に対するぼかし処理はなかった。 2010年1月1日放送の『』、『』内の「ストライク・ミュージック」、『』といったテレビ朝日の懐メロ番組において流される1980年代の歌謡曲の映像は、多くがこの番組の映像である。 放送局 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2016年11月) 放送対象地域 放送局 系列 備考 製作局 1981年9月20日のサービス放送から 日本テレビ系列 1981年3月まで 新潟総合テレビ 現: 1981年4月から1983年9月まで テレビ朝日系列 1983年10月の開局時から TBS系列 1980年9月まで 日本テレビ系列 1980年10月の開局時から 静岡けんみんテレビ テレビ朝日系列 現: 日本テレビ系列 TBS系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 テレビ朝日系列 ・ 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 戦中継を優先して放送休止になる場合あり 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 TBS系列 フジテレビ系列 日本テレビ系列 TBS系列 フジテレビ系列 1982年9月まで テレビ朝日系列 1982年10月の開局時から TBS系列 関連項目 [ ]• - 初期の司会者が同じく関口宏だった。 脚注 [ ].

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小松政夫

あんたはエライ 小松

「どーかひとつ」「なが〜い目で見てください」など数々のギャグを生み出し喜劇俳優として活躍する小松政夫(69)。 日本喜劇人協会の会長を務める小松が「喜劇の灯を消さないためにも」と、ホンモノの笑いを熱く語った。 妄想癖で周囲を悩ますがモテまくる雑誌編集長役の前川と社長役の秋元にからまる専務の役回りだ。 忠臣蔵や宝塚「ベルサイユのばら」などをパロディー化、劇中に数十曲が登場するミュージカル仕立ての上質なコメディーだ。 「小松の親分さん」「しらけ鳥音頭」「電線音頭」…と小松ギャグが満載。 「過去の栄光にすがっているわけじゃないけれど、待っている人がいるんだったら、なりふり構わず頑張りますよ」と意気込んでいる。 今年6月、日本喜劇人協会の10代目の会長に選出。 「あまりにも先人の皆様が大きすぎて」と前置きをしつつ「喜劇というものを見つめ直し、しっかりと地に根の張った若い役者を引っぱりあげたい」と語る。 テレビ創成期から数々のギャグで人気を集め、イラストレーターの山藤章二氏に「狂気を秘めた普通人」と言わしめたヒステリックな数々のフレーズとインパクトあるアクション。 「電線音頭や、しらけ鳥の頃がまさにハイテンションの頂点でしたね」 小松をスターダムに押し上げた数々のギャグには、すべてに実在のモデルがいた。 《どうして!どうしてなの!おせーて!》は、「焼き鳥屋さんのカウンターで、ある女性がホスト風のハンサムな男に向かって、5分間に100回も『おせーて』って言うんですよ。 『おせーて』っていうのが面白くてね」と、誕生の秘話を明かす。 《あんたはエライ!》は、旧日本兵の小野田寛郎さんが、戦後29年ぶりにルバング島から帰国した時に空港で母親が小野田さんにかけた言葉だった。 「イントネーションが大切なんですよ」と《あんたはエライ!》を何度も実演してみせた。 クレージーキャッツの植木等の付き人兼運転手として喜劇俳優の基礎を学んで50年。 来年は古稀を迎える。 植木の「売り出し中は何をやってもいいんだよ。 明治座で思い切り笑わせた後、年が明けて1月はシリーズ第3弾「小松政夫vsコロッケ 爆笑昭和のヒーローズ」をシアター1010で公演。 2月は喜劇人協会の会長就任を記念した「爆笑コメディー時代劇『次郎長 なが〜い目で見てください』」で主役を張り、東京、岡山、博多と各地を回る。 「体が続く限り、髪を振り乱して走り回り汗をかいて、最後は涙させるのが喜劇だと先輩たちから教えていただいた」と生涯コメディアンを約束した。 18日まで。 1961年俳優を目指して上京するも養成所の入学金が払えず断念。 さまざまな職業を経て、植木等の付き人を4年務め、「シャボン玉ホリデー」でデビュー。

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歌謡ドッキリ大放送!!

あんたはエライ 小松

小松政夫(75)が師匠植木等さんとの43年におよぶ師弟関係をつづった著書「昭和と師弟愛」(KADOKAWA刊)が、今日28日に発売される。 小松は車の敏腕セールスマンだった22歳の時、「クレージー・キャッツ」の人気者だった植木さんの運転手兼付き人となった。 3年10カ月の付き人生活を経て、07年に80歳で亡くなるまで濃密な師弟関係を送った。 今回の執筆も「生きざまを見られて人生の糧になった。 素晴らしい人間性の真の姿を知ってほしかった」と話す。 ゴルフ場の帰りに、そば店に立ち寄ったという。 小松はかけそば、植木さんはかつ丼と天丼を頼んだ。 料理がくると、植木さんは「胃が重くて食えねえ。 お前が食ってくれ」。 それは、思いやりだった。 小松が映画評論家淀川長治さんの物まねを始めると、植木さんに「お前の物まねは本物だ。 観察力が優れている」と励まされたという。 その後の「知らない、知らない、知らない」「ねえ、おせ~て」「あんたはエライ」のギャグも実在のモデルがいて、人間観察から生まれた。 事務所を独立する時には、関係者に「干すとか、意地悪するとか、そういうことがあれば、おれが承知しないからな」とくぎを刺し、「何かあったら、おれのところに来い」と送り出した。 小松の仲人は植木さんだった。 「人生で1回しかしていない仲人をしてくれた。 13歳で父親を亡くしているので、『おやじさん』と言えば、植木さんが浮かびます」。 尽きない師匠への思いが詰まっている。

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