もう てん キングダム。 スタッフ・キャスト:NHKアニメワールド キングダム

【キングダム】蒙恬(もうてん)は将軍になる?じいとの関係は?声優も紹介!

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蒙毅(もうき)と再会する河了貂 鄴(ぎょう)攻略から五ヶ月。 秦(しん)国は新領土となった列尾(れつび) ー 遼陽(りょうよう) ー 鄴(ぎょう)の三角地帯を盤石のものにすべく、各地より続々と国民を送り込みます。 咸陽(かんよう)で久しぶりに再会する蒙毅(もうき)と河了貂(かりょうてん) 朱海平原の報告のため昌平君(しょうへいくん)に呼ばれた河了貂は、少し話せたらと思い早く来たと言います。 河了貂は蒙毅(もうき)に、蒙恬(もうてん)と蒙毅(もうき)の兄弟を親代わりに育ててくれた、楽華隊(がくらたい)副長の胡漸(こぜん)の戦死を伝え、龐煖(ほうけん)にやられたと兄から聞いたと蒙毅は言います。 蒙毅(もうき)は、蒙恬(もうてん)が自分の手で龐煖を討ちたかったが、難しく、信が代わりに仇を討ってくれたことに感謝してると言っていたことを伝えます。 しかし、死んだのは胡漸(こぜん)だけではなく、他にも、飛信隊も大勢の犠牲が出たと蒙毅は言い、大切な仲間を大勢失ったと河了貂は言います。 だからこそ、立ち止まらず前に進まないと!と言う河了貂に、蒙毅も、その通り!と答えます。 李牧が欠けている今が攻めどき 蒙毅(もうき)は河了貂に、列尾(れつび)の向こうが今どうなっているのかを教えると言い、地図を広げます。 新領土を加えた秦国の新しい地図を見た河了貂は、魏(ぎ)に山陽(さんよう)近くまで取られていることに焦ります。 騰(とう)将軍が列尾貫通に現場を離れた隙に、魏・呉鳳明(ごほうめい)に攻め込まれたが、騰(とう)将軍が現場に急行したため魏の侵略は山陽でとまっていると説明する蒙毅。 説明を聞いた河了貂は、仕方がないと言います。 それ以上に、鄴(ぎょう) ー 遼陽(りょうよう)の線までの地を得られたのは大きいと。 蒙毅(もうき)も河了貂と同意見で、今は本土からの移住を進め、新領土を秦の人間で埋めることを最優先にしていると言います。 河了貂は、列尾より先はまだ不安定で、そんなに急いで人を送って大丈夫か聞きます。 蒙毅は、不安定な中で一刻も早く生活を定着させるため、山陽(さんよう)の経験がある李斯(りし)が派遣され、効果的に秦国化が進んでると答えます。 新領土ができたということは、新しい国境の前線が生まれたということであり、当然、土地勘は向こうがあるため、弱いところからいくらでも攻めてくると心配する河了貂。 蒙毅は、そのために王翦(おうせん)、桓騎(かんき)、楊端和(ようたんわ)が、前線で趙(ちょう)軍の逆襲に対抗していると言います。 戦況を聞く河了貂に、悪くないと答える蒙毅。 理由は、李牧がまだ邯鄲(かんたん)の地下牢に閉じ込められたままだからだと言います。 蒙毅(もうき)は河了貂に、この状況をどう思う?と聞きます。 急な大移住が不安と言っておきながら、軍隊の軍師としての考えは全く別、李牧が欠けてゴタついている趙には、今こそ攻めどきだと河了貂は答えます。 蒙毅は、自分も昌平君(しょうへいくん)も同意見だと答えます。 ついに王都邯鄲(かんたん)を標的にと息巻く河了貂ですが、蒙毅は、落ち着くよう言います。 まず手間のやることをひとつずつで、式典もその一つ、先延ばしになっていた「論功行賞(ろんこうこうしょう)」だと蒙毅は言います。 李信・蒙恬・王賁の三人が将軍に 王宮で待機する李信(信) 着がえを勧められますが、いつものままでいいと断る李信。 李信は、大勢の人が集まってる様子を見てますが、その時、「李信」と呼ぶ人物が。 李信を呼んだのは政で、「李信」という名前にまだ慣れないと信は言います。 政は李信の肩に手を添え、「いよいよだな」と伝え、その場をあとにします。 李信は空を見上げながら「ふー」と大きく息を吐きます。 「論功行賞(ろんこうこうしょう)」がはじまり、三将(王翦、桓騎、楊端和)がそろって前線を離れるわけにはいかず、総大将だった王翦(おうせん)だけが帰還し、第一功の特別大功を授かりました。 桓騎(かんき)と楊端和(ようたんわ)も特別大功を授かり、代理で戻った摩論(まろん)とバジオウが受け取ります。 そして、王賁(おうほん)、蒙恬(もうてん)、李信(りしん)の三人が呼ばれます。 外では飛信隊が、咸陽(かんよう)深部のギリギリ入れるところで待機しており、各中継役を経て、本殿の河了貂とつながっています。 蒙恬率いる左翼の奮戦は、朱海平原勝利の立役者である。 よってこれを、第一特別功とする。 次は王賁(おうほん) おなじく五千将にして右翼にて独立遊軍として縦横無尽の活躍。 さらに趙将で最強とも評された暁雲(ぎょううん)を自ら討ち取った。 よってこれも第一の特別功とする。 最後は李信(りしん) 五千将にしてこれも王賁と同じ右翼にあり、王賁と正に両輪の活躍をした。 キングダムのアニメと漫画の最新刊が無料で読める!? キングダムのアニメと漫画の最新刊を無料で読めるのをご存知ですか? その方法とは、 U-NEXTという動画配信サービスを活用する方法です。 U-NEXTは、日本最大級の動画配信サービスで、160,000本もの映画やアニメ、ドラマの動画を配信しているサービスですが、実は電子書籍も扱っています。 (マンガ22万冊、書籍17万冊、ラノベ3万冊、雑誌70誌以上) U-NEXTの31日間無料トライアルに登録すると、 「登録者全員に電子書籍が購入できる600円分のポイント」が配布されます。 このポイントでキングダムの最新刊を 1冊無料で読むことができます。 さらにキングダムのアニメも 全て「見放題」です!! 第1シーズン 第2シーズン 第3シーズン 映画のキングダムも有料ですが視聴可能です。 アニメも見放題で最新刊も無料で購入できるU-NEXTの無料トライアルはこちらから!!.

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キングダム楽華隊(蒙恬)メンバー全員まとめ

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キングダムの蒙恬 もうてん とは? まずキングダム内における蒙恬 もうてん の概要について説明。 蒙恬 もうてん は秦国の武将の1人で、信・王賁とは同期。 よくこの3人組みは次代の秦国を担う人材として有望視されていますね。 蒙恬 もうてん は楽華隊 がくか という部隊を率いており、父親にあの蒙武を持つ武将です。 蒙武の顔面からは想像できないほど優男風な感じですが、蒙家の跡取りとして確かな実力を持っています。 見かけは優男風な印象を受けますが、蒙家の跡取りとしてしっかり自覚を持っているらしく時々、スイッチが入ったように真剣になる時があります。 父親の蒙武との一緒にいる描写はあまりありませんが、「う、、父上、、、」と蒙恬 もうてん が発言していることから蒙恬 もうてん と蒙武には一定の距離がありそうです。 しかし、蒙武と楚の大将軍である汗明との一騎打ちに蒙恬 もうてん が巻き込まれ瀕死の状態に陥った時に蒙武は俺の倅だから簡単に死ぬはずがない!と言い切り周囲を驚かせています。 普段、蒙武と蒙恬の親子の絆が描かれてなかっただけに周囲がこれにはかなり驚いた様子でした。 蒙恬 もうてん の実力 飛信隊や玉鳳隊に負けない武力を誇る楽華隊ですが、その蒙恬 もうてん の実力はどのくらいでしょうか? 父親が蒙武ということもあり、ゴリゴリの武力タイプの気もしますがどちらかと言うと剛ではなく柔のタイプ。 相手の剣を真正面から受け止めるのではなく、受け流して攻撃に転じるタイプ。 過去には相手の武将を一騎打ちで仕留めているので、白兵戦の強さも伺えます。 しかし、なんと言っても蒙恬 もうてん の真骨頂はその軍略の才能。 秦の総司令でもある昌平君の学校を首席で卒業しており、その軍略に対する知識は相当なものがあります。 蒙恬 もうてん は実在した武将か? 次にきになるのが蒙恬 もうてん は実在した武将であるか否か?ということ。 これはイエス。 史実にもしっかり蒙恬 もうてん の活躍が記されています。 しかし、史実での活躍ぶりは若干キングダムとは異なるようですね。 まず、蒙恬 もうてん は当初は武官ではなく文官として従事しており主に裁判関連の業務に就いていたようです。 紀元前224年に李信将軍の副将として楚の討伐に加わり、ここで実績を挙げています。 ここでいう李信将軍とは、信のモデルとなったとされる人物。 キングダムの1巻の1ページでも、成長した信が李の字名をもらい李信将軍として名声を得ている描写がありますね。 デビュー戦は絶好調の蒙恬 もうてん でしたが、その後に楚の将軍である項燕に大敗しています。 紀元前221年には正式に将軍となり、斉討伐で武功を挙げてその後に内史に任命されています。 長官、お偉いさん キングダムでは斉王と秦王の間で不戦協定が結ばれたので、今後キングダムで斉との戦いが起こるかどうかは未知数です。 2017年9月時点でキングダムの方では秦は李牧率いる趙と戦闘中です。 その後、史実では紀元前215年に匈奴の討伐作戦では30万の軍を率いて大勝をおさめています。 この活躍が始皇帝にも認められ、その後は重要な役職で活躍することになります。 そう考えると蒙家は蒙武をはじめ、非常に優秀な人材を排出した名門と言えますね。 実在の武将、蒙恬 もうてん の残念な最後 漫画に史実に大活躍の蒙恬 もうてん ですが、史実では蒙恬 もうてん の最後は決して華々しいものとは言えません。 始皇帝に重用された蒙恬 もうてん ですが、始皇帝の死後に不運が待ち受けていました。 次の皇帝の座を狙う胡亥と側近の趙高、李斯に自殺を命じられます。 始皇帝が存命の時は中華統一のために秦国が一丸となって他国と戦いましたが、中華統一の偉業を成し遂げるとその権力を独り占めしようとする輩達との政争が待っていたわけです。 最初は自殺命令を拒否した蒙恬 もうてん でしたが、2代目の皇帝として即位した胡亥からの再三の自殺命令を受け、渋々これを了承。 自ら命を絶ちます。 ちなみにこの時に、蒙恬 もうてん の弟でもある蒙キも自殺命令をくだされ蒙家は皆殺しにされてしまいます。 蒙恬 もうてん は自殺する間際、 自分に何の罪があって自ら命を絶たないといけないのか?と嘆きますが、長城を築いた際に大規模な工事を行なったのでその時に地脈を傷つけてしまったのが自分の咎と納得し自殺します。 これに対して司馬遷はこう述懐しています。 中華統一という大規模な戦争が終わり、民が疲弊していた頃にこれだけ大規模な工事を蒙恬 もうてん は敢行した。 始皇帝の機嫌を取るためではなく、民のことを思えばこそこの時期には民への手厚い方策を進言すべきだったのでは?地脈のせいにするべきではなく、蒙恬 もうてん の罪は重い このように痛烈に批判しています。 まとめ いかがでしたでしょうか? 今回、キングダムの蒙恬 もうてん について紹介しました。 漫画では非常に魅力的な人物として描かれていますが、史実では少し残念な感じも。 ここら辺はキングダムではどのように描かれていくのでしょうか?これからの展開が気になります。

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キングダム (漫画)

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スポンサーリンク 【キングダム】武の名門蒙家の長男 蒙恬の 祖父蒙驁と父の蒙武は共に秦国の大将軍にまで上りつめた武将です。 蒙驁は 白老と呼ばれ中華にもその名を知られています。 父の蒙武は言わずと知れた、秦国一の武力の持ち主です。 元々、祖父蒙驁は斉国の出身ですが、出世を夢見て士官しますが、斉では芽が出ず、それから蒙武を連れて色々な国を回ります。 ですが、中々思うようにいかず、最後にたどり着いた国、秦にて少しずつ芽が出始めます。 そしてついには 大将軍にまで出世したのです。 蒙恬は二人に続き大将軍を目指しているのかよくわからない部分があり、文官を目指すと公言している場面もあります。 いったいどっちをめざしているのでしょうか?? 蒙恬の実力、功績から言えば、いずれは大将軍も夢ではないと思うのですが・・・ 王賁と蒙恬は、 信から政が六将復活を考えていると聞いた時、三人とも六将に割って入るような感じで話してましたね。 のらりくらりとしていますが、しっかりとその野心は持っているのですね。 もしかしたら、 父蒙武との親子六将を夢見ていたりするかもですね! スポンサーリンク 【キングダム】軍師学校を首席で卒業 蒙恬の特徴としては 武力よりも知力が優れている武将です。 勿論、剣もかなりの腕前で隊の先頭に自ら立ち、敵の中へ突き進む場面も多々ありますが、敵を策にはめ、倒していくイメージの方が強いです。 昌平君の軍師学校を首席で卒業しており、師である昌平君からも、底がしれないと言わしめる程の知力の持ち主です。 弟の蒙毅も昌平君の軍師学校に在籍し成績優秀で知られています。 あの武力のみの蒙武の息子がどちらも知力タイプというのはどんな遺伝子?と思ってしまいます。 きっと母親似なのでしょうね! 母親は作中では出てきませんが、さぞかし頭のいい美女だったのでしょう。 スポンサーリンク 【キングダム】楽華隊を率いて功績を挙げる 作中で初めて出てきたのは三百人将の時で楽華隊を率いていました。 実は この時既に千人将になっていたのですが、祖父蒙驁の指示により三百人将として修行をしていました。 信や王賁のように将を討ち取るといった武勲はあまりありませんが、要所でその戦いの結果に多大な影響を及ぼす程の大事な働きをしてくれます。 魏の山陽戦での敵将輪虎を討ち取る策を立て、その潰れ役を楽華隊で請け負った事、合従軍での楚将白麗の弓の脅威を即座に感じ取り、執拗に追い、深手を負わせた事、同じく合従軍戦で楚将媧燐の襲撃から本陣を守ったりと、 影の立役者的な感じですね。 もしくは縁の下の力持ちって感じでしょうか。 敵将を討ち取り、五千人将になった信や王賁と同じく、趙の鄴攻めの時には五千人将に上りつめていました。 スポンサーリンク 【キングダム】朱海平原の戦いでは秦左翼の大将 鄴攻めの最激戦区となった朱海平原の戦いでは左翼に配置され、見事に総大将王翦の期待に答え、趙右翼を翻弄し、麻鉱軍の波状攻撃に繋げます。 しかし、李牧単独の奇襲により麻鉱が討たれると、形成は逆転し麻鉱軍が一気に崩れ始めます。 麻鉱軍の崩壊はもうとめられない・・・河了貂や麻鉱軍の将達でさえそう思っていました。 しかし、 蒙恬だけは麻鉱軍の崩壊はまだ止められると思っていたのです。 理由は、 麻鉱軍は個人個人が練兵に練兵を重ねた屈強な戦士で、その強さがあればなんとかなると思ったのです。 蒙恬は麻鉱軍に、麻鉱は生きていると嘘の情報を流して、敵陣に飛信隊と部下の陸仙を突撃させ、拠点を作り麻鉱軍の旗を掲げさせます。 そうする事で今まで劣勢だった麻鉱軍兵に士気が戻ってきます。 蒙恬は嘘の情報で士気の低下を止め、旗を掲げる事で勇気を湧かせたかったのではないでしょうか。 もうだめだと思っている中で、対抗できる味方がまだいたんだ!と思えれば力が湧いてくるものですもんね。 そして極めつけは自兵が窮地に陥った時に麻鉱が掛けていた言葉、 「 立って戦え!」 士気の低下が止まり、まだ戦えると希望を抱き始めた麻鉱兵達はこの言葉を聞いて完全に士気が爆発します! 趙右翼軍で一番厄介な武将だった馬呈は必ず飛信隊が作った拠点に向かうと読んでいた蒙恬は飛信隊に馬呈軍が近づいてきたらなるべくこの乱戦から引き離すよう指示を出していました。 そして、馬呈が十分遠のいたのを確認すると陸仙の拠点に楽華隊本体を突入させ麻鉱軍の左半分を復活させるのです。 圧倒的戦力差の中で、第一陣で趙右翼を翻弄し、麻鉱軍壊滅の危機を救った神算鬼謀、読み、統率力、既に将軍としての資質は十分に備えている事を証明しましたね。 この事から秦軍総大将王翦は この鄴攻めの間だけの期間限定ではありますが、蒙恬を将軍に格上げし、正式に秦左翼の大将として指揮を取らせるのです。 スポンサーリンク 【キングダム】箔をつけるため出撃後も大活躍! 李信の副将として楚を攻めた蒙恬。 待ち受けるは 楚の大将軍項燕。 李信と蒙恬軍は総勢二十万の軍勢で攻め込みます。 実はこの戦いの前に秦王政は李信と王翦にそれぞれ楚を落とすにはどの位兵数は必要か訪ねます。 李信が二十万で落とせると言ったのに対し、 王翦は六十万必要と進言します。 政は二十万で落とせると言った李信にこの戦いの総大将を任せたのです。 李信と蒙恬は二十万を二手に分け、別々に攻め込みます。 それぞれが連戦連勝で合流先の城父まできます。 これまでの連勝から、完全に浮かれ油断していた李信と蒙恬。 どれほどの強者でも勝ち続けると少なからず油断が生まれる・・・ 項燕はわざと負け続け秦軍を油断させたかったのです。 キングダムでは信はともかく蒙恬が油断するっていうのは少し考えにくいですが、史実では浮かれまくっていたようですね。 そして 項燕の狙い通り油断していた秦軍は城父にて楚軍三十万の襲撃を受け、壊滅状態になってしまいます。 李信と蒙恬は命からがらなんとか秦へ逃れます。 そのまま項燕軍は秦へ攻め込み函谷関で王翦と蒙武軍に敗れてしまいます。 敗れた楚軍は立て直す戦力は既に無く滅んでしまうのです。 さすがは王翦といったところでしょうか。 この戦いで大敗した李信と蒙恬ですが、よほど秦王政から気に入られていたのか 何もお咎めなしだったようです。 桓騎は大敗したことで逃亡したくらいなのに・・・ いつの時代もえこひいきってあるもんですね(笑) その後、 何も功績もないまま蒙恬は将軍になります。 将軍となってからは多大な功績を残します。 李信、王賁、蒙恬の三軍で六国最後の国、斉を攻めます 斉の降伏により 秦は中華統一を成したのです。 中華統一後、三十万の軍勢で匈奴を倒し、オルドス地方を奪回するのです。 匈奴は蒙恬がいる間、その防衛を突破する事が出来なかったそうです。 ちなみに蒙恬が作中のようにイケメンだったという記述は一切ありません(笑) スポンサーリンク 【キングダム】始皇帝死後にライバルに嵌められ自殺 万里の長城建設中に太子扶蘇が蒙恬のいる国境の付近に左遷されてきます。 何故、太子扶蘇が蒙恬の元へ左遷されたのか? 有力な説が二つあります。 一つは 蒙恬の監視役です。 三十万の兵力を有する蒙恬が反乱を起こさないとも限らないと思われ、その監視をするのが扶蘇の役目だったという説。 どちらかというと 2つ目の説が有力ですが、 太子扶蘇は父である始皇帝の行った政策、抗儒に意見した為、始皇帝の怒りを買い左遷された為という説。 扶蘇が左遷されて五年後、始皇帝が巡業中に死亡します。 その時、始皇帝の末っ子胡亥と宰相の座に就いていた李斯、そして始皇帝のお気に入りの一人だった趙高は始皇帝の死を隠し、急ぎ王都へ戻り、 なんと 遺書の偽造をしてしますのです。 偽造された遺書には「 扶蘇と蒙恬に自害を命ずる」というものでした。 なんで? 二人共そう思ったはずで、蒙恬は怪しみこの遺書が真実かどうか確認できるまで自害を思い留まります。 しかし扶蘇は遺書の内容を受け入れ自害をしてしまいます。 こんなにあっさりと受け入れるあたり、 扶蘇は始皇帝に嫌われていたのでは?となるとやはり左遷は2つ目の説が、大分説得力がでてきますね。 扶蘇の死後も最後まで自害を受け入れなかった蒙恬でしたが、胡亥が皇帝の座に就くとあらためて自害の命が下り、勅命ならばと自害を受け入れ、命を断ってしまいます。 その後、蒙毅も趙高によって殺され、 蒙驁の時代から栄華を誇った蒙家一族は権力争いによってその血筋は途絶えてしまうのです。 そして秦国は権力にまみれた人間しか残らなったせいでしょうか、楚の項燕の孫、項羽によって滅ぼされてしますのです。 始皇帝の死後は李信や王翦、王賁などの活躍は全くなく、恐らくは既に亡くなっていたと思われます。 始皇帝の死後まで生きていて、有能な将だった蒙恬、彼の死が秦滅亡を早めたのは間違いないかもしれませんね。

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