君 が 僕 以外 の 人 を いつか 選ん で しまっ て さ。 「恋愛裁判」の衝撃の結末とは!?「判決」は最初から決まっていた ?

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君 が 僕 以外 の 人 を いつか 選ん で しまっ て さ

初恋はいつも君と 02. 交換日記 03. LUV U MORE feat. SALU 04. YU-RA YU-RA 05. バレバレ 06. 君以外もう知らなくていい 07. Dear Angel 08. フィクション恋物語 09. ドライブ 10. 君が教えてくれたもの 11. ~interlude~ 12.

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「恋愛裁判」の衝撃の結末とは!?「判決」は最初から決まっていた ?

君 が 僕 以外 の 人 を いつか 選ん で しまっ て さ

「君の名は。 」の映画中の一場面。 新海監督ご自身、こうなることを予想していましたか? いえいえ、僕も全く予想していませんでした。 配給会社の東宝ですら予想していなかったと思いますね。 RADWIMPSが手がけた音楽の存在も大きかったし、映画のビジュアルの力も大きかった。 田中将賀さんのキャラクターデザイン、作画監督の安藤雅司さんのアニメーション、あるいは背景美術チームの美しい背景画の力があったと思います。 それでも特に1つ挙げるんだとしたら、やはり「物語が響いた」んじゃないかと思うんです。 『君の名は。 』の物語は、大きく分けて2つのレイヤーがあります。 表面のレイヤーとしては、ボーイ・ミーツ・ガールです。 少年と少女が出会い、少年が少女を失い、もう1度出会うという図式です。 伝統的なボーイ・ミーツ・ガールのストーリーラインを踏襲しています。 直球のボーイ・ミーツ・ガールへの渇望や需要が、日本の若い観客にあったんじゃないかと思います。 もう1つのレイヤーが『君の名は。 』には、あります。 ボーイ・ミーツ・ガールの下側にあるものは、少女が夢のお告げで人々を災害から救うという話です。 2011年以降、僕たち日本人は「もしも自分があなただったら…」と常に考えるようになったと思うんです。 言い換えれば、今の自分とは違う自分があったかもしれないという感覚です。 「もしも自分があのとき、あの場所にいたら」とか、「もしも明日、東京に大きな災害が起きたら…」とか。 それは、思いやりが深くなったというよりは、常にそうなる可能性があるということを突きつけられて、意識下に染みついてしまったという印象です。 『君の名は。 』は、男女の入れ替わりで始まります。 ヒロインの宮水三葉(みやみず・みつは)が、東京の男の子になるコミカルな話ですが、最終的には東京の立花瀧(たちばな・たき)が「もしも自分が、消えてしまったあの町に住んでいたら…」と考える物語に変わります。 僕たちが2011年以降にずっと想像していた「もしも私があなただったら…」という想像力が、そのまま映画の中にあります。 それが無意識のうちに、たくさんの日本人の観客にリンクしたのかもしれない、と思っています。 新海監督は「災害からの救済」を描きたかったのでしょうか? そうではありません。 しかし、観客を「幸せな気持ちにしたい」という思いは、単純にありました。 「映画館を幸せな気持ちで出てもらえる映画にしよう」と。 ただ、『君の名は。 』という物語で一番重要なのは、エンディング以前のところまで。 瀧は三葉を救うことができた。 「もしも私があなただったら」と考える過程を経て、「私はあなたを救った」という場所まで辿り着けた。 そこで、災害をめぐる物語としては完結しています。 でもそれは、本作では物語の下のレイヤーに過ぎないんです。 いわば無意識の部分。 上のレイヤーには、ロマンチックなボーイ・ミーツ・ガールの図式がある。 やっぱり最後にもう一度、少女に出会わなければいけない。 そうじゃないと本当の意味で物語は終わらないから、瀧と三葉が最後に再会することは最初から決まっていました。 僕は、それ以外の終わり方はまったく考えていませんでした。 11以後は「生を獲得する物語にしなければいけない気がした」 立花瀧の精神が入った宮水三葉(『君の名は。 『君の名は。 』では、なぜハッピーエンドにしたんですか? もちろん僕自身が年を取って変わった部分もあるとは思います。 でも、やはり大震災が起きた2011年が、大きなきっかけだった気がします。 2011年以前、僕たちは何となく「日本社会は、このまま続いていく」と思っていました。 もちろん、人口が減って経済規模も縮小していくなど、少しずつ社会が衰退していく予感はあったとは思います。 でも、さほど起伏のない「変わらない日常」がこの先ずっと続くんだという感覚がありました。 そういう世界で生きるためには、変わらない日常から意味を引き出すことが必要でした。 コンビニでもいいし、遅れてしまう電車でもいい。 些細なところから、生きていくために必要な慈しみや、豊かな意味を引き出していくことが重要だったように思います。 そういった空気感の中では「初恋の相手を再び獲得して幸せになった」という起伏のある物語よりは「初恋の相手を失っても生きていく」という、喪失から意味を引き出す生き様を、映画で描くことが必要だと僕は感じていました。 でも2011年以降、その前提が崩れてしまったように思います。 町は、いつまでも町のままではない。 いつかは無くなってしまう。 劇中で瀧が入社面接で言った「東京だって、いつ消えてしまうか分からない」という台詞の通りです。 そういう感覚の中で僕たちは生きるようになった。 そこで描く物語は、今回のように決して諦めずに走っていき、最後に生を獲得する物語にしなければいけない気がしたんです。 やっぱり2011年以前とは、みんなが求めるものが変わってきたような気がします。 僕自身もたぶんそうだと思います。 東宝に最初の企画書を出したのが2014年の7月です。 6月ぐらいに2週間ぐらいで書き上げました。 そして、地震も周期性の強い現象です。 2011年以降、日本人の多くは「僕らは周期的に揺れる地面の上に住んでいる」ということを思い出したはずです。 本作は「震災をモチーフにした映画を作ろう」という考えではありませんでしたが、2011年以降に発想した物語として、人が住んでいる場所に周期的に何かをもたらしてしまうものを物語に入れ込もうというのは、自然な成り行きだったのだと思います。 そうですね。 もうそこは本当に感覚的なものでした。 なかなかうまく言語化できないんですが、2014年の時点で「これから作る物語はこういうものだ」という強い感覚がありました。 内容の迷いはなかったんです。 細かなディテールはそこから1年かけて、迷って迷って組み立てていきました。 でも根本のプロットは、最初に発想した企画書から変わってないですね。 『君の名は。 』は、離れ離れになった男女が再会します。 「運命の人との出会い」を描いてるようにも見えますが、監督ご自身は「運命的な出会い」を信じますか? 僕自身は信じないほうです。 でも、たとえばRADWIMPSの野田洋次郎さんや、(瀧の声を充てた)神木隆之介君、(三葉の声を充てた)上白石萌音ちゃんと話していると、3人とも「信じている」と言っていましたね。 それは仕事の差なのかもしれないですけど……。 僕は基本的に人生で起きることって、コントロールできない偶然の積み重ねの要素が大きいと思うんですよね。 誰かとの出会いにしても、僕が東京に来なければ起きないことだったし、東京に来なければアニメーションも作らなかったかもしれない。 1つ違う選択をしただけで、人生はまったく違ったものになる。 「だからこそ決まっていたんだ」という解釈をする人もいるかもしれませんが、僕は決まっていたというよりは、偶然出会ったみたいな感じ方をしますね。 ただ、偶然の出会いに、あとから理由が欲しくなる気持ちも分かる気がします。 「出会った理由が欲しい」と思ったときに、「結び」や「縁」や「運命」という言葉を使うのだろうなとは思います。 しかし、僕は今回の作品中で「なぜ三葉が入れ替わったのが瀧だったのか」という理由は、敢えて描かないようしました。 三葉は誰かと夢の中で入れ替わる必要がありました。 災害から人々を救うために、あるいは自分が助かるためにそうする必要があった。 ただ、その相手が瀧である必然性はない方がいいと思ったんです。 観客にとって、自分たちと入れ替え不可能な物語になると思ったんです。 脚本会議でも「なぜ瀧なのか?」という声は出ましたが、そこに理由があっては逆に駄目だと思いました。 瀧と三葉の出会いに必然性を求めると、物語の可能性を狭めてしまう。 僕たちの人生の可能性を狭める話になる気がしたんです。 むしろその方がいいだろう、と思いました。 せっかく映画なんだから、映像もきれいで、音楽にもドキドキして、展開も予想できなくて、涙も流して、笑い声をあげて、「ああこの107分間良かった」と思ってほしい。 「それがエンターテインメントだ」と、はっきり目標にしていました。 そこまで強い気持ちで「エンターテインメントを作ろう」と思ったのは、この作品が最初でした。 まずは楽しんでもらえれば、それで十分幸せだし、自分の役割をある程度果たせたとは思います。 その上で感じてほしいことがあるとしたら、やっぱり「もしも私があなただったら」という想像力ですよね。 そういう想像力を刺激するような作品であればいいなと思いました。 そうですね。 必ずしも、震災までリンクしなくてもいいと思うんです。 「自分が誰かだったら」というのは、全ての思いやりや、共感のベースだと思うんですよね。 「これはとても辛い」と思って、出会ったこともない人のために寄付をする。 会ったことのない人の境遇に、涙を流すこともできる。 それは、エンターテインメントを楽しむうえでの基本的な素養でもあるんです。 物語を通じて、人は共感することを学んでいくんだと思います。 そこで培われた共感は、現実世界でもきちんと自分の人生を助けてくれる。 「もしも自分が自分ではない誰かだったら」という想像力に作用するような物語を作りたいと思っていました。 人間の最も大事な能力の一つが、共感であり他者への想像力ですよね。 「世界が少しでもより良くなればいい」という気持ちは、誰の中にもあります。 僕も自分の仕事を通じて世界がちょっとでも良くなればいいって気持ちはあるんです。 今回の『君の名は。 』を作るときも、この映画によって「もし自分が自分じゃなかったら……」と考えるきっかけになればという思いがありました。 たとえば僕は今回『君の名は。 』が幸運にもヒットしましたが、『君の名は。 』がヒットしなかった自分だって、別の世界にいると思うんですよ。 今の自分じゃない自分っていうのは、やっぱりどこかにいます。 『君の名は。 』に引きつけて言えば、三葉がいなくなってしまった世界だってあると思うんですよね。 それもあるでしょうね。 取りこぼしてしまった可能性は常にあって、そこに思いを馳せることが、世界を少しでも良くすることだと思っています。

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他人の失敗をいつまでも蒸し返してからかう人間が理解不能。 : おうち速報

君 が 僕 以外 の 人 を いつか 選ん で しまっ て さ

TOP画像引用元 そもそもなぜ「恋愛裁判」は開廷される事となったのか。 ボカロ史に残る名曲をいくつも生み出した、大人気ボカロP「40mP」。 彼の7曲目のミリオン達成ソングが初音ミク歌唱の「恋愛裁判」です。 この曲はその高い物語性に注目を集め、小説化までされた大人気楽曲となっています。 曲の内容は、大切な恋人に対して、してはならない罪を犯した「僕」と、そんな「僕」に怒る「君」のさまを「裁判」にたとえた恋愛ソングです。 驚愕のラストに、多くの考察がなされてきました。 はたして「僕」と「君」の裁判の行く末に待っていた、衝撃的な結末とはなんなのか。 その結末を見る為に、まずは「恋愛裁判」が行われる事になった理由に迫ってみましょう。 これが裁判を起こすきっかけになったと思われます。 続く歌詞では「君」に許しを乞う歌詞が綴られています。 ではこの「魔」とはなんなのか。 そのヒントと思われるものが2番で歌われていました。 恋愛の「過ち」と言えば、思い浮かぶものはただ1つ。 そう「浮気」です。 思い返せば、1番の「僕」の言葉も、まるで「君」以外の相手がいた事を隠すような内容でした。 「君だけが全てさ」と歌う歌詞は、裏を返せば「君だけが全てじゃない」と相手に勘違いさせる何かが起きたという事でしょう。 さらに、実は1番には、このような歌詞もあります。 そしてこの事実に加え、さきほどの歌詞「性格的な問題」。 つまり、彼には元から「浮気癖」なるものがあったと、考える事はできないでしょうか。 それが「僕」に「ちょっと魔がさして」犯した罪の正体でしょう。 けれども、その歌詞からわかるように、「君」だけは騙す事が出来なかったようです。 その結果、「僕」には有罪判決がくだされます。 はたして有罪判決となった「僕」は、自分の罪に対してどのような答えを導き出すのか。 彼が導き出した、自分の罪への償いをみてみましょう。 いかにして自分を許してもらうかと、自己が中心的な考えを訴えていた僕が、「君」の抱えている想いに対しても目を向け始めるのです。 「恋愛裁判」のMVでは、Cメロに至るまでの「僕」の現状を観る事ができます。 そこには、牢屋に閉じ込められた「僕」が、悲しむ「君」の姿を見つめるシーンが描かれています。 推測するに、この間奏のシーンは悲しむ「君」に対して「僕」が様々な思いを巡らせらた時間なのではないでしょうか。 その結果、今までの彼の考え方に変化が起こります。 そして次の大サビで、彼は「君」にこう告げるのです。 今まで刑を軽くしようともがいていだ彼が選んだのは、最も重たい刑罰でした。 本気の反省と覚悟が感じられます。 しかし、そんな「僕」に待っていたのはなんと予想外の真実だったのです。 「君」も有罪!? 罪を犯していたのは「僕」だけじゃなかったのです。 では「君」がした罪とはなんなのでしょうか。 それを考えるヒントが「偽りの涙」です。 実は他にも、この歌詞に似た言葉が登場しています。 それが1番のサビです。 これは、言い訳をする「僕」に対して「君」が泣いているようにも見えます。 しかし大サビと似たフレーズであることもふまえると、この時点で「君」が流していた涙も偽りのように見えてきませんか。 すると見えてくるのは、ある一つの可能性です。 ここで先の間奏シーンを思い出しましょう。 牢屋の中に閉じ込められた彼は、その中にいる間、彼女の事だけを考え続けています。 裏を返せば、「君」だけの事しか考えなくなるように仕向けた、という風にも捉えられませんか? 「君」が本当に狙っていたのは、「僕」の思考の独占ではないでしょうか。 「偽りの涙」も、彼を反省させる為の策だったのかもしれません。 となると「君」の「有罪」とは、「僕」を自分だけのものにするために「騙した」事だと考えられます。 つまり、最初からずっと「僕」は「君」の手のひらの上で転がされていたという事です。 TEXT 勝哉エイミカ.

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